第2章 母に心からの「ありがとう」が言えるまで

起業して事務所につけた名前は、
「キャリア&マネーデザイン室」
 
”シングルママのサポート”で最初に思い浮かん
だのは、実はお金が先ではありませんでした。

「第1章 ワーカホリックで休職から「生きたい自分」へ」
はコチラから↓
http://career-moneydesign.com/first/

「このままではわたしは自由に生きられない」

両親の離婚が正式に決まってからでしょうか。
母の口からわたしに発せられる言葉は、
「一番上なんだから当たり前でしょう」。
 
寄り道せずに帰宅してご飯の支度をするのも、
日曜日は友人と出かける許可が下りず家で掃除
や洗濯などの家事をするのも、
 
すべて「一番上なんだからやって当たり前」
それに不満を覚えても、帰ってくる言葉は
「お母さんも大変なんだから」

正直、「このままではわたしは一生家族の面
倒を見ることになるんじゃないか」と思いま
した。
 
高校生の頃は、「わたしは、わたしの自由に
は生きられないんじゃないか」と真剣に思い
ました。
 
多分、親の前で笑わなくなったのは、この頃
からだったと思います。

今のわたしを知ってる人は信じられないで
しょうが、
「茂美は表情が乏しい」と言われてた時期が
あるんです。

とにかく早く家を出たかった。

そして、大学進学を期に家を出て、
それから数年間は一度も実家に帰りませんで
した。
 
その後も顔を見せるのは数年に1度。
きょうだいには悪いと思いましたが、
家には二度と戻らないつもりでした。

「茂美ちゃん、話聴かせて」の一言に号泣

3度目の休職から復職する前、出勤リハビリ
のつもりで人材開発部のワークショップに参
加しました。

その時、今も敬愛するキャリアカウンセラー
の大先輩からかけられた一言が、今思うとわ
たしの人生を変えてくれたのかもしれません。
 
それはこんな言葉でした。
「茂美ちゃん待ってたよ。話聴かせて」

この言葉に、わたしは突然泣き出しました。

ずっと、何もできなくなってしまった自分
を「弱い」と責めていて、苦しかった。
それを無条件に聴いてくれる人がいる。
 
自分でも気づかなかった「聴いて欲しい」
という自分の心に触れる一言でした。

その時に思ったんです。

過去の母にも、ただ話を聴いてくれる大人が
近くにいたら、わたしにぐちらずに済んだん
じゃないかと。

だから、シングルママが気持ちを吐き出して、
スッキリ笑顔で家に帰れる、子どもの前では
いつも笑顔でいられる、

そんな「対話の場」を作りたい
というのが起業の原動力でした。

ところが、キャリアカウンセラーになって
人の話は聴けるようになったものの、

身内の話は冷静に聞けない。
どうしても自分の感情が邪魔をしてしまうん
です。

母に心からの「ありがとう」を伝えられるようになった

そんな母との関係が、”方眼ノートメソッド”
と出会って劇的に変わります。
 
母からかかってくる電話にいつも感情的に
なってしまって、電話が終わると具合が悪く
なるくらいだったのが、

ノートを使うと感情的にならずに冷静に話が
聞ける。話せる。

さらには、自分のもやもやもノートの上で
解消できる。

ようになったんです。

そしてわたしは、50歳を過ぎてやっと、
母に心から「ありがとう。大好きです」と
言えたんです。

今では、二人で食事に行ったり、家に遊びに
行ったりする仲に。
先日も、母から誘われて、食事をして他愛も
ないおしゃべりをしてきました(笑)

こうして「ノートに書く」ということが
人の心を”軽くする”という経験をしたわたし
は、
 
方眼ノートメソッドの生みの親=高橋政史氏
とともに、「ノートに書く」をスムーズに
する武器を開発することになるのです。

やっと、「書く」というところまでやってき
ました。

次回は最終回(笑)

いよいよMOJIトレを高橋さんと一緒に開発
し、世に送り出すまでをお伝えします。


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